水やり / Rain
制作日:2020/09/30 / (123) / 素材:発泡スチロール、フォルモ、紙、バルサ、綿 / 塗装:アクリル絵の具 / カメラ:Nikon D90 / 画像:Pixelmator Pro
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以下、だらだらと書いてます。ちょっと長いです。
時間のあるときにどうぞ。
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思いつき
夫婦で駅前のスーパーからの買い物の帰り道、
妻「会社の近くは雨がすごく降ってて、でも、こっちに来たら止んでたよ」
私「そうなんだ。ピンスポットに降ったんだね」
妻「途中電車から、会社の方に雨の柱みたいなのが見えたよ」
私「へえぇ〜、それはすごいね」
って会話をしながら着想した。これ作ろう!って思いついた。
最初は鬼が雨を降らすの図。
ドリフを見てたので、高木ブー氏の雷様を連想。
最近ずっと男の人、女の人、犬の組み合わせで続けてきてるので、その組み合わせで作ることにした。
男の鬼とラムちゃんみたいな女の鬼、そして虎の腰巻きでもした犬。ってのを考えていた。
そこでふと思った。ずっとタイトルを和名/英名で付けてきてるので、英語圏で鬼って理解されるかな?って。
鬼ではなく雷神がいて天候を司るという信仰は世界中にあるようだというのが分かった。
ちょっと想像だけど、親子の会話とかで、空に誰かがいてその存在が雨を降らせてるんだよ。的な子供に言い聞かす会話は、きっと世界のどこでも、どっかあるんじゃないかな?って。
天気の神だと荘厳な物ってなり、作るの難しそうだし、そういうの作りたいとも思わないし、もっと人に近い存在のが親しみがわく。
普通の人が水をまいてる。それは誰なの?って問題は考えないことにして作り始めた。
あとづけで、妖精が降らしてるってことにしてしまえばいいかな?って思った。
今、思った、妖精って見た目に分かるように、どうにかする?って。天使の羽とかあればそれっぽい?。でも、それ作る時間なさそう。今回は却下。
ベランダのコキア
ベランダにプランターでコキアを植えている。何年か前に広大な公園で
一面のコキアを見て感動し、家でも育てられるというのでその年に探して育てた。
今年もコキアは育っていて、最近徐々に色づいてきてる。植物に水をあげるのは
なんかやさしい気持ちになれていいなと思う。
普段から水やりしてるのも、今回の作品を作ろうって着想につながってる
と思った。
あとづけで、ベランダのコキアにしてみれば、空から降ってくる雨も、人がジョウロでくれる水もどちらも、命を保つために必要な恵みであってちがいはないはず。
だから、この作品で、空から誰が水をまいていてもいいよね?。って言い訳。
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制作の反省
作品のできの良し悪しは毎回あるのであえてあげない。
今回一番の反省は作るのが遅くなったこと。
毎回の反省から、1日から制作の準備を含めて開始したのに、完成がギリギリになってしまった。
時間がやたらかかった。過去数ヶ月、10日前後ぐらいで大体人形の形ができていたのに、今回は2週間してもまだ、迷ったりして完成出来なかった。
なぜギリギリになったのか理由を考えた。
まずは自分に都合のいい言い訳
苦手なことを後回しにすることで遅れるパターン
ちょっと俯瞰して反省
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作業中の気付き
カメラを使う時のメガネ
この半年で目が悪くなった。元々近眼でメガネをしてるが、近くも見えなくなってきた。老眼だ。生活に支障をきたすので老眼鏡を作った。
しばらくは、老眼鏡と近眼用のメガネと、メガネを外した生活を平行していて付け替えたり外したりで忙しい。
カメラのファインダーを覗くと、ピントが合ってないのに気付いた。レンズのピント調整をいじるけど合わない。距離が近すぎるのかな?って思ったけどそうでもない。
ふと学生時代のことを思い出す。
もう一度カメラを確認し、自分が老眼用のメガネをしてることに気付く。
日常の感覚ではカメラは老眼鏡で見るのが良いと、とくに考えずにやっていたが、近眼用のメガネを掛けないとピントが合わなかった。
映画用カメラと同じだ。って思い、ややこしいなと思った。
話しかけられてイライラする理由
作業に没頭していて、話しかけられたり、そばをうろうろ歩き回られると、なんか落ち着かなくてイライラすることがあった。予定が遅れてるので、そう思うことが多かった。
集中できない!って思ってたこともあったけど、違うんじゃないかって今回思えた。
怒ってるって言われて、自覚がなかったので自分で驚いて思い返してみた。
遅れてる理由について、ひとつひとつ考える中で、苦手なことがあって、それを遠ざけてるって自覚することができた。
そういうときに何か言われたり、うろうろされるとイライラするって心の動きに気付けた。
できないから、すすまないから、うまくいかないから。ちゅうちょしてるから、とりかかれないから、とりかかることから逃げてるから。
できないからやろうとしない。すすまないから放置してしまう。うまくいかないから逃げている。ちゅうちょしてると時間ばかりが過ぎる。
しわ寄せで時間がどんどん減っていき、成果は何もあがらない。
相手は何も悪くはなかった。自分ができないことを棚に上げて、人の所為にしていただけだ。
自分で自分の首をしめてるから苦しくなってるのに、しめてることの自覚がないまま、なんかよく分からないけど不機嫌になってた。
制作の事務作業的な部分
今回の撮影では、撮影前に位置決めをしている
普段は毎回適当に、その都度並べて撮ってるけど、今回、レイヤーを重ねるような撮影を考えているため、どこまで映るか、どこから映らないかなど調べてる。
ずれると何も映らなかったり、作りすぎて無駄な作業が増えるので、位置を数字で記録している。
数字を控えておけば、片付けた後で再び同じように並べることができるから。
造形部分も、今は試行錯誤だけど、自分の中に蓄積ができて経験値というのが研ぎ澄まされていけば、いずれは大部分が事務的作業となるだろうと考えている。
上手い人は手さばきが早くきれいで、かつ正確だ。パン工場のラインで働いたときそう感じ、今もそう思っている。
まずはキレイにできる手順を体得し、あとはどうすれば早くキレイになるかを自分の中で調整していく。
効率化を求められる事務作業となんら変わりない。と今になって思う。
今月もようやく終わった。
完成させられて良かった。続けられてて良かった。
_202009300506
追記:2021/08/02
削除:2022/04/14
追記:2022/04/18
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