雑司が谷散人の街道遊歩 0939
六本松通り大山道 08 2019.9.16
曽我山の急坂を上り詰めると、大山道旧道は六本松峠へ。
古来から曽我氏や松田氏などの豪族の居館と鎌倉を結ぶ要衝の地とされ、押切方面への道とも交差した。
かつて6本の松があったというが、今は無い。
六本松峠を過ぎると、尾根筋の大山道旧道からは相模湾を望む。
六本松峠から曽我山の東側へと下っていく、大山道旧道。
六本松峠から下る大山道旧道に、伝曽我十郎と虎御前の「忍石」。
十郎とは、曽我兄弟の仇討ちで知られる曽我祐成で、仇討ち前に妾の虎とこの地で逢引をしたと伝わり、石に腰掛けて別れを惜しんだという。
曽我山の東側を下り切ると、大山道旧道は中井町の田中地区へ。
小田原中井広域農道に出ると、左手に石仏。
塔の台石仏との標柱が立つ。
山道旧道は中井町の中心市街地へと入り、旭橋で中村川を渡る。
中村川は押切で相模湾に注ぐ、中村川水系の本流。
中村川を渡ると、五所八幡宮。
「五所宮」の通称で親しまれ、八幡宮の勧請5番目ということから「五所」の名があるという。
例大祭で演じられる「鷺の舞」で知られる。
五所八幡宮前を過ぎ、藤沢川を渡ると、大山道旧道は久所地区へ。
路傍に石造物が並べられているが、不動明王像の載る道標には「大山三リ 金目ニリ」と刻まれ、平塚市の金目観音こと光明寺への道を示している。
久所から一本松峠へ上る大山道旧道。
峠手前の日立システムズ社の建物裏手に、藪道となった旧道があるが、倒木などに阻まれて通行は困難。
一本松峠側には歩ける区間が僅かに残るようだ。
この先の一本松峠で、六本松通り大山道は羽根尾通り大山道と合流する。
一本松峠で六本松通り大山道の旅は終了。
この先は羽根尾通り大山道として、後日再び訪ねることとする。