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雑司が谷散人の街道遊歩 0925

日光街道 5日目-02 2019.8.27

国道に東京から72キロのキロポストの立つあたりが、間々田宿の問屋場跡。

間々田宿

国道左手の駐車場に、間々田宿本陣跡の案内板。
間々田宿は江戸から11番目の宿。
日光方から土手向町、上町、中町、下町の4町で構成され、本陣のあったのは中町。

間々田宿本陣跡

間々田4丁目交差点を左に入り、しばらく進むと間々田八幡宮。
間々田宿の鎮守で、天平年間の勧請という古社。

間々田八幡宮

平将門の乱の際、間々田八幡宮へ戦勝祈願をした藤原秀郷が御神田を奉納したことから、このあたりを飯田(まんまだ)と呼ぶようになり、間々田地名の由来ともなっている。

間々田八幡宮

文治5年、奥州征伐に向かう源頼朝が間々田八幡宮に参拝し、境内に植えた松が「頼朝手植えの松」として長く守られてきたが、明治39年に枯死したという。

間々田八幡宮

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