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雑司が谷散人の街道遊歩 0697
美濃路 1日目-09 2019.3.3
美濃路旧道は名鉄線の高架下をくぐると、庄内川左岸の土手に突き当たる。
土手下には美濃路のモニュメントなど。
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庄内川の土手に沿って、黒體龍王大神。
もとは庄内川の中洲にあった社で、その中洲の形が枇杷のようだったことが、枇杷島の地名由来のひとつ。
かつての枇杷島橋は、中洲を経由して名古屋と清洲を結んだ。
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枇杷島橋で庄内川を渡る。
江戸期の橋は今の橋と名鉄線の橋の中間あたりで、尾張藩主徳川義直が元和8年に架橋。
当時は中洲を挟んで清洲側の小橋、名古屋側の大橋があり、橋の両側には市が開かれて賑わったという。
今の位置で一本の橋になったのは昭和31年。
その2年後に中洲は撤去。
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枇杷島橋を渡り、江戸期の橋があったあたりまで庄内川の土手脇を進むと、名鉄線の踏切手前から再び美濃路旧道に戻る。
踏切を直進する道は岩倉街道で、犬山城下への道。
美濃路旧道に入ると、右手に岩倉街道分岐の道標が残る。
文政10年のもので、清洲・名古屋方面と岩倉街道を示す。
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美濃路旧道右手に橋詰神社。
枇杷島橋の北詰で、橋詰の地名がある。
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