雑司が谷散人の街道遊歩 0919
日光街道 4日目-06 2019.8.20
肴町の「坂長」。
店蔵の裏手に建つ主屋は、明治期の築。
「坂長」のある肴町通りは、川魚を扱う御用商人が多かったといわれ、古河城へ運ばれる食糧はこの道を通ったという。
肴町通りに、古河藩使者取次所址の碑。
ここに大名の使者を応接した役所があり、役人が慌ただしく走り回る様子から、役所は御馳走番所と呼ばれた。
本町2丁目交差点の先に、古河城下本陣址の碑。
付近には高札場や問屋場の跡もあり、古河宿の中心地。
本陣跡地のひとつ先の交差点は、かつては突き当たりで、日光街道は左へ折れ、右は下妻を経て筑波方面へ向かう筑波道だった。
古河宿では鍛冶町通りと呼ばれた筑波道にも、蔵造りの商家が残る。