雑司が谷散人の街道遊歩 0696
美濃路 1日目-08 2019.3.3
八坂交差点の先で、美濃路旧道は惣兵衛川こと庄内用水路を渡る。
橋は惣兵衛橋。
用水は天正年間の頃の開削といわれ、濃尾平野の穀倉地帯を支えた名古屋最大の農業用水。
惣兵衛橋を渡ると、美濃路旧道左手に尾州殿茶屋跡の案内板。
名古屋城下と清洲宿との間の立場があったようだが、特に尾張藩関係者向けの休憩所があったという。
美濃路旧道は庄内川に近い枇杷島地区へ。
平安末期の公卿、藤原師長の白菊の琵琶の故事に由来する地名といわれるが、庄内川の中洲の形が枇杷のようだとする説や、枇杷の多い地だったとする説も。
美濃路旧道右手の路地の奥に、枇杷島の八幡社。
尾張藩主がこのあたりで鷹狩をしたといわれ、鷹八幡とも呼ばれる。
枇杷島の地名由来となる藤原師長の故事ゆかりの寺が、清音寺。
尾張国井戸田に流された師長は、村長横江氏の娘を寵愛し、京へ帰る際に白菊の琵琶を残したが、別れを悲しんだ娘はこの地で身を投じ、その菩提を弔うために建立されたのが、清音寺という。