雑司が谷散人の街道遊歩 0646
中山道 2日目-05 2019.1.1
調神社を過ぎると、やがて中山道旧道は浦和宿へ。
浦和駅にも近く、人通りも多くなる。
日本橋から3番目の宿。
写真の行列は調神社の初詣客。
浦和の地名は浦回、浦廻、浦曲などといわれた地形に因むとされ、古入間川の曲がりくねった流れから生じた地名という。
秋ヶ瀬の渡しを経て府中通り大山道へ通じた道を左に分ける浦和駅西口交差点を過ぎると、浦和宿の中心部。
宿場時代の面影は無いが、しばらく進むと左手に門前通りと刻まれた標柱の立つ路地。
突き当たりは玉蔵院で、平安時代の創建という浦和の古刹。
その門前町が浦和の集落の発祥だろうか。
浦和宿を構成したのは、上町、中町、下町の3町。
上町は今の常盤、下町は今の高砂。
浦和宿といえば、毎月2と7の日の六斎市。
旧上町を中心に南北2町が市場として賑わったという。
市場は昭和初期まで続いていたという。
中山道旧道から常盤公園への道の角に、野菜を売る農婦の像が往時を偲ばせる。
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