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雑司が谷散人の街道遊歩 0837

日光街道 3日目-09 2019.6.13

日光街道旧道左手に、聖福寺。
将軍の日光社参の際に休憩所となった寺で、本堂「将軍の間」には、左甚五郎による彫刻も施されているという。
山門は勅使門と呼ばれる唐破風の四脚門。

聖福寺

日光街道旧道右手には、幸手一里塚跡。
江戸日本橋から12里目。

幸手一里塚跡

幸手宿を抜けると、日光街道旧道は内国府間交差点で国道4号に合流。
「国府間」の地名が気になるが、この付近に国府は無く、国府と国府の間とする説もあるが、川と川の間で「河間」とするのが、地形的には自然か。

内国府間交差点

内国府間の国道右手に見える土手状の森は、桜の名所で知られる権現堂堤。
天正年間に権現堂川の堤防として築かれ、明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄ったことから、行幸堤とも呼ばれた。
後に利根川の流路変更により、権現堂川は廃川となり、戦後に中川堤防として残された堤に、桜が植えられた。

権現堂堤

国道4号は、中川を渡る。
その手前に、東京から50キロ地点を示すキロポスト。

東京から50キロ地点

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