雑司が谷散人の街道遊歩 0852
中山道 8日目-13 2019.6.19
軽井沢は明治期以降は避暑地として知られ、欧米の宣教師が多く訪れたことから、従来「かるいさわ」と読んだ地名も、発音しやすい「かるいざわ」に変わったという。
軽井沢宿周辺を「旧軽井沢」と呼ぶようになったのは、明治中頃から。
軽井沢駅周辺の新軽井沢に対し、商業施設や別荘の多い旧軽井沢は、軽井沢の代表的な観光エリア。
軽井沢の地名由来は、定かではない。
横浜市内の東海道沿いに軽井沢の地名があったことを思い出すが、古くは荷を背負うことを「かるう」と称したようで、峠を控えた谷地の地名とする説や、水の枯れた「枯井沢」とする説などがある。
中山道旧道左手の軽井沢観光会館は、平成7年にかつての建物の外観イメージを残して建て替えられたもので、もとは明治44年築の軽井沢郵便局。
中山道旧道右手の路地を入ると、「中山道軽井沢宿脇本陣江戸屋」の看板を掲げた古民家があるが、脇本陣江戸屋の跡地は、先ほどの軽井沢観光会館の地。
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