雑司が谷散人の街道遊歩 0777
日光街道 1日目-13 2019.5.4
日光街道旧道は五叉路の増田橋交差点へ。
かつては千住宿と草加宿の中間の立場として賑わった場所。
交差点から竹の塚駅方向への道は赤山街道で、関東郡代伊奈氏の赤山陣屋へ通じたが、赤山街道沿いを流れてきた竹の塚堀がここで日光街道東側に曲がり、これに架かっていた橋が増田橋。
竹の塚駅前からのけやき通りとの交差点に、旧道交差点バス停。
東側に並行する国道4号との対比で、このあたりでは旧日光街道の呼称が一般的に使われている。
日光街道旧道は、竹の塚から保木間へ。
古くは毛長川沿いの低湿地で、干拓の際に木の柵で土の流出を防いだ様子からの地名という。
梅島から一直線に北上してきた日光街道旧道の道筋は、毛長川手前で大きく右へカーブする。
大曲の地名はそれ故か。
日光街道旧道は国道4号草加バイパスを越えて旧国道へ合流すると、水神橋で毛長川を渡る。
毛長川は都県境で、これより埼玉県草加市に入る。