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雑司が谷散人の街道遊歩 0041
矢倉沢往還 1日目-01 2016.12.25
東海道を歩き始めて5日目で箱根湯本へ到達。
思いのほか街道歩きの楽しさに目覚め、早くも「他の街道も歩いてみたい」と目移りし始めることに。
東海道は次回から石畳の旧街道、という序盤のハイライトを迎えるが、その前に東海道の脇往還ということで、大山街道こと矢倉沢往還の旅をスタート。
起点は赤坂御門跡。
赤坂見附の石垣の遺構を見上げながら、東海道とは違った旅の風景に想いを馳せる。
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赤坂見附の石垣をしげしげと見ていたら、不の字のような刻印に気付く。
これは几号水準点と呼ばれる印で、明治初期に高低測量の基準点として、主に石垣のような不朽物に刻まれたもの。
調べてみると、都内各所にひっそりと残っている様子。
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矢倉沢往還の道筋をほぼトレースしているのが、国道246号。
都心では青山通り、玉川通り、そして厚木街道、大山街道などと呼ばれる。
脇往還としての起点は赤坂御門だが、国道としては三宅坂が起点。
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歩き始めてすぐに、牛鳴坂の旧道が左へ分かれる。
牛車の牛が悲鳴をあげるほどの急坂だったということらしいが、現在では地形も変わり、さほどの傾斜も感じなくなってしまった。
赤坂という土地柄、地形も景観も10年単位で大きく変貌している。
![](https://assets.st-note.com/img/1691916956752-0TcSPISFF4.png?width=1200)
再開発が進んで、かえって地形の特長が掴みやすくなったのが、牛鳴坂の旧道西側から南へ下る薬研坂。
道幅が広がり、沿道の風景がさっぱりとしたせいか、薬研のように中央の窪んだ地形がよく分かる。
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