雑司が谷散人の街道遊歩 0683
中山道 3日目-05 2019.2.20
中山道旧道右手の狭い通路を入ると、3階建ての土蔵が現れる。
ここは桶川宿の名家、島村家の土蔵で、天保飢饉の「お助け蔵」として知られる。
中山道旧道右手の重厚な蔵造りの住宅は、「木半」の屋号のあった矢部家。
明治初期の築。
紅花も扱ったという穀物問屋。
矢部家住宅の向かい側は、もとは旅籠だった小林家住宅。
2階部分の開口部に建て込まれた格子が美しい。
桶川宿は当初は小さな宿場だったようだが、天保年間の頃には名産の紅花や農作物の集散地として、発展したという。
桶川宿本陣の8代目は、江戸期の俳人、府川志風。
9代目はその子で、これも俳人の府川不莠。
府川本陣には皇女和宮が江戸へ下向の際も宿泊している。