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雑司が谷散人の街道遊歩 1041

日光御成道 1日目-08 2019.12.4

新荒川大橋を渡り、川口市立南中学校の北側に回ると、小さな公園に鎌倉橋の碑がある。
荒川北側を流れた小川の橋で、昭和初期までは橋があったという。
日光御成道の原型は中世の鎌倉街道中道というが、橋名がその由緒を示している。

鎌倉橋の碑

鎌倉橋の碑から北へ向かう道筋が日光御成道旧道で、川口宿に入る。
岩淵宿との合い宿として、月の前半と後半で宿の役目を交替していた。
本一通りと呼ばれる宿の旧道に入ると、右手に浜田接骨院。
明治40年築。

川口宿

川口といえば鋳物産業で知られるが、江戸期には日用品や農具、梵鐘などの寺社用具が中心で、明治期以降、特に日露戦争後に近代化が進み、大きく発展した。
旧道左手の路地奥にある煉瓦造りの建物は、明治33年から鋳物工場に電気を供給した火力発電所の跡。

火力発電所の跡

日光御成道旧道右手の中西薬局は、大正期の築。

川口宿

中西薬局の向かい側に、こちらも大正期の築という縄屋商店。
江戸末期創業の乾物屋。

川口宿

本一通りの出口角に、福田屋洋品店。
店の前が本町ロータリーで、今は川口駅から離れてしまった川口宿周辺が、市街の中心地だった名残り。

本町ロータリー前

本町ロータリー交差点から国道122号に合流すると、やがて芝川を渡る上の橋へ。
川口宿を抜けた日光御成道の道筋は、この先しばらくは国道122号を辿ることとなる。

芝川

この後、埼玉高速鉄道川口元郷駅で日光御成道の旅1日目を終了。
「元郷」という呼び方も、川口宿のある旧市街地の意か。

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