雑司が谷散人の街道遊歩 0748
中山道 6日目-01 2019.4.29
武蔵国埼玉県最後となる中山道の旅の6日目。
スタートは神保原。
板張りの蔵などが残る神保原の旧道風景。
神保原は明治22年の村制施行の際、石神、忍保、八町河原の各村が合わさったことに因む地名。
神保原1丁目交差点を右へ折れた中山道旧道は、国道17号の北側へ渡り、金久保地区へ向かう。
左手には庚申塔を集めて並べた一画。
奥には薬師堂も。
金久保地区の中山道旧道右手に、金窪八幡神社。
金窪城主の斎藤盛光が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したもので、大永5年の創建。
斎藤氏は天正10年の神流川の合戦で敗退。
中山道旧道に面して「三国道入口」と刻まれた標柱が立つ。
金久保から新町宿へ入る中山道のルートは承応2年に整備されたもので、それ以前の道筋は金久保で北へ折れ玉村方面へ向かい、これが越後へ至る三国街道の旧路と重なったものと思われる。
中山道旧道右手に畑時能の首塚。
畑時能は新田義貞の家臣で、金窪城を居城とした。