雑司が谷散人の街道遊歩 0757
中山道 6日目-10 2019.4.29
上越新幹線の交差をくぐると、その先に上信電鉄の中仙道踏切。
表記は「中仙道」。
これを渡ると高崎宿に入る。
江戸から13番目の宿、高崎宿。
道はあら町へ。
旧和田城の城下町ができた頃からの商人町で、鎌倉街道に沿った馬上宿や金井宿に加えて新しくできた町。
平仮名表記は平成18年に多野郡新町を合併の際に、混同を避ける為。
諏訪神社は珍しい土蔵造りで、度重なる火災の教訓という。
あら町の並びが連雀町。
もとは旧箕輪城下の町で、高崎移城の際に大手門前のこの地に移されたという。
連雀とは「連尺」で、背負子のこと。
商人町の代名詞的な町名。
連雀町の次が田町。
こちらも旧箕輪城下から移された町で、高崎宿の中山道は慶長7年、一本東側の北通町から九蔵町への道筋から、田町を通る道筋に移されたという。
問屋場があり、高崎宿で最も賑わった場所。
高崎宿の田町は、絹、綿の取引きが行われる市場の開かれた町で、高崎藩は田町以外での絹の売買を禁じたという。