雑司が谷散人の街道遊歩 0927
日光街道 5日目-04 2019.8.27
粟宮交差点で国道4号から分かれ、小山宿へ向かう日光街道旧道を進むと、神鳥谷地区に入る。
「ひととのや」と読むが、古くは「しととのや」だったようで、「巫鳥(しとど)」という鳥の名に由来するという。
国道50号の高架橋をくぐると、旧道左手に天満宮。
日光街道旧道は江戸から12番目の宿、小山宿へ。
日光街道から壬生道、結城道、佐野道、栃木道が分岐した交通の要衝で、天保年間の記録では、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠74軒の規模。
天満宮のあたりが南の入口で、下町、中町、上町と続き、宿内には将軍家の小山御殿があった(今の市役所付近)。
日光街道旧道右手に、小野塚家跡地。
江戸期からの醤油醸造の商家で、敷地内には往時の煉瓦煙突が残る。
宮本町へ入ると、日光街道旧道から左へ須賀神社の参道が伸びる。
「祇園さん」とも呼ばれる須賀神社は、天慶3年に藤原秀郷が京都八坂神社を勧請したと伝わる古社で、もとは小山城(祇園城)内にあったが、慶長6年に今の地に移された。
宮本町から中央町に入ると、日光街道旧道左手に脇本陣の跡。
唐破風の玄関のある建物が残り、明治天皇の行在所跡でもある。