雑司が谷散人の街道遊歩 0688
中山道 3日目-10 2019.2.20
中山道旧道右手に、鴻神社。
氷川社、熊野社、雷電社を明治6年に合祀。
同35年には日枝社、東照宮、大花稲荷社、八幡社を合祀し、社号を鴻神社と改めた。
ここから北へ向かう道が、日光裏街道。
鴻神社にはかつて「樹の神」と呼ばれた大樹があり、飛来したコウノトリが卵を育てていたところ、大蛇が卵を飲み込もうとした為、コウノトリは果敢に戦い卵を守り抜いた。
以来、村人たちは木の傍に社を建て「鴻巣明神」とし、鴻巣の地名ともなったという。
中山道旧道は雷電町へ。
鴻神社の地に祀られていた竹の森雷電社に因む町名。
ここから先は古くは京方の木戸外(土手外)だったが、宿の拡大により木戸は取り払われ、町家が広がった。
中山道旧道は加美交差点へ。
加美町も木戸外(土手外)に広がった町で、本宿の上方寄りからさらに京方にあることから大上町と呼ばれたが、後に上町、嘉美町、加美町と表記が変化したもの。
中山道旧道は高崎線を渡る第三中仙道踏切へ。
因みに第一・第二は北本駅の北、古中山道が馬室原一里塚を挟んで高崎線を2度渡る場所にあり、第一は既に廃止。
箕田へ向かう中山道旧道。
右手には箕田観音堂。
箕田地区に入ると、中山道旧道右手に氷川八幡神社。
箕田は嵯峨源氏の流れをくむ箕田源氏発祥の地。
源宛(みなもとのあつる)の子、渡辺綱も箕田の生まれ。
氷川八幡神社は別名「綱神社」。
箕田地区の中山道旧道は、中宿橋で武蔵水路を渡る。
この水路は、利根川の水を荒川へ導く為のもので、昭和42年に完成。
中山道旧道は箕田追分へ。
直進する中山道に対し、右手へ忍方面への道が分かれる。
鴻巣宿と次の熊谷宿の間は約16キロの距離があり、途中の箕田、吹上、久下の3ヶ所に立場があったという。
追分を右へ入り、中山道旧道から離れ、JR北鴻巣駅にて中山道の旅3日目を終了。