雑司が谷散人の街道遊歩 0848
中山道 8日目-09 2019.6.19
入道くぼを過ぎると道幅が広がり、山中茶屋跡へ。
峠道のちょうど中間点あたりで、慶安年間に茶屋が開かれ、寛文2年の記録では、13軒の茶屋や寺、茶屋本陣もあったという。
明治期には小学校もできるほどの集落だったようで、今も石垣やコンクリートの土留めなど、集落の痕跡が見られる。
山中茶屋跡を過ぎると、道は山中の集落へ通じた車道となり、山中坂の上りとなる。
子持山の南側へ向かう急坂で、かつては空腹ではとても上りきれないとされ、飯喰い坂とも呼ばれた。
道は陣馬ヶ原と呼ばれる分岐点へ。
左の小径が中山道。
右は幕末に皇女和宮降嫁の際に新しく開かれた道で、和宮道と呼ばれる。
陣場ヶ原から道は狭まり、子持山の西側を進む。
少し先には、旅人が水面に姿を写して身なりを整えたという、化粧水と呼ばれた水場の跡がある。
化粧水跡を過ぎると、道は小さな沢を渡る。
笹沢と呼ばれ、かつて沢のほとりに人馬の休める家があったという。
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