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雑司が谷散人の街道遊歩 0812
美濃路 3日目-10 2019.6.8
美濃路旧道右手に、米之宮跡の碑。
倉稲魂神を祀ったが、今はその痕跡も無い。
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美濃路旧道右手の「まちあい公園」の先に、町屋観音堂。
このあたりは古くから鎌倉街道沿いの集落で、旅籠などもあったと伝えられ、待合いの場として待合の地名がある。
町屋はこれが転じたものという。
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町屋観音堂から西結の集落に入ると、美濃路旧道左手に結神社。
鎌倉街道沿いの古社で、明治36年の揖斐川改修で今の地に移るまでは、結大明神と呼ばれた。
小栗判官と照手姫の伝説で知られ、小栗判官と結ばれることを願った照手姫の守り本尊が納められたが、今は手前の町屋観音堂に祀られている。
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結神社の西側が揖斐川。
往時の美濃路は佐渡の渡しで揖斐川を渡ったが、今は500メートル程上流の国道21号新揖斐川橋で対岸へと渡る。
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木曽川、長良川と渡ってきた美濃路は、木曽三川の最後の川、揖斐川へ。
古くは大垣市内の杭瀬川が揖斐川本流だったが、享禄3年の大洪水で流れが変わったという。
揖斐川は東西方言(アクセント)の境界ともいわれる川。
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