雑司が谷散人の街道遊歩 0885
中山道 9日目-14 2019.7.30
下塚原の集落の先に、駒形神社。
文明18年に佐久耳取城主、大井政継が再興したという。
高台の崖に面した社地で、中世の駒形城址ともいわれる。
中山道旧道は駒形坂を下ると、塩名田交差点へ。
これより塩名田宿に入る。
大きな自然石の道祖神。
塩名田交差点から北へ入ると、塩名田神社。
塩名田宿の鎮守で、前身は寛文13年創建の山王権現社。
塩名田宿は江戸から23番目の宿。
千曲川の右岸にあり、小規模な宿場ではあったが、川止めとなることも多かったせいか、本陣2軒と脇本陣1軒があった。
塩名田宿は江戸方から下宿、中宿、河原宿と続き、その先が千曲川。
暴れ川とも呼ばれた千曲川には、橋も架けられていたようだが、洪水の度に流失し、専ら船や徒歩で渡ったという。
中山道旧道右手に、中津村道路元標が残る。
中津村は旧塩名田村、御馬寄村が明治22年の町村制で合併して成立。
昭和30年に浅科村の一部となる。
中山道旧道右手に「問屋本陣」の看板が掛かる家は、旧本陣丸山新左衛門家。
塩名田宿に計3軒あった本陣、脇本陣は全て丸山一族。
新左衛門家は宝暦6年に再建された建物が、今も使われている。
内陸のこの地に「塩」地名があるのは、塩尻などと同様に、塩の輸送、塩の道との関連だろうか。
「名田」は「みょうでん」と読むと、荘園公領制での支配単位を指すようで、塩名田は平安期の荘園群のひとつ、大井庄の中にある。
旧本陣丸山新左衛門家の並びに、高札場跡。
塩名田宿の中心地。
この後、塩名田バス停から佐久平駅へ戻り、中山道の旅9日目を終了。