雑司が谷散人の街道遊歩 0693
美濃路 1日目-05 2019.3.3
四間道界隈は戦災の影響をあまり受けなかったこともあり、古い町家や土蔵の並ぶ昔ながらの街並みが残る。
「四間」は道幅を表すが、元禄13年の大火を受け、堀川沿いの町家の焼失を避けるために道幅を拡張したという。
四間道では、石垣の上に建つ土蔵が特徴的だが、通りの東側は防火壁の機能を持たせるため、藩が奨励して土蔵を建てさせたという。
四間道東側に並ぶ蔵は、豪商伊藤家や青木家のもの。
屋敷は堀川側の美濃路に向いて門を構えるため、四間道は屋敷の裏通りの位置付け。
四間道から路地を入ると、屋根神を祀った古民家。
庇屋根や軒下など、高い場所に祀ることから屋根神と呼ばれるが、尾張、三河を中心に美濃、飛騨地方にも見られ、名古屋では戦災の影響をあまり受けなかった西区、中村区に多く残る。