雑司が谷散人の街道遊歩 0452
東海道 22日目-11 2018.8.13
三岐鉄道の高架下をくぐるとすぐにJR関西線の踏切を渡り、富田地区に入る東海道旧道。
三幸毛糸紡績の工場脇を進むと、三岐鉄道と近鉄線の高架下を続けてくぐる。
その近鉄線の高架に「国道架道橋」の文字。
東海道旧道が国道だった名残り。
近鉄線の高架下の先に、一里塚橋。
すぐ先に富田一里塚跡がある。
東海道旧道左手に八幡神社。
そこに「富田の石取祭」の幟がはためく。
石取祭は桑名の祭りだが、愛知、岐阜、三重の各県にも波及しており、ここ富田の祭りは四日市市の無形文化財でもある。
JR富田駅と近鉄富田駅の中間を進む東海道旧道。
旧富田町が四日市市へ合併したのは昭和16年。
もとは桑名藩領。
富田は今は四日市市だが、もとは桑名藩領。
広重『東海道五十三次』でも桑名は富田立場が描かれ、そこには店頭で蛤を焼く店が描かれている。
つまり、桑名の焼き蛤は、富田の焼き蛤。