![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141445211/rectangle_large_type_2_2a87986ae926cae89c9b503b5776db05.jpeg?width=1200)
雑司が谷散人の街道遊歩 0635
中山道 1日目-09 2018.12.29
都電庚申塚電停を過ぎると、地蔵通り商店街からの人混みも徐々に落ち着き、西巣鴨へと入る。
中山道旧道に面して、古い商家もちらほら。
![](https://assets.st-note.com/img/1716353266793-Qk7Qngl333.png?width=1200)
巣鴨付近の中山道には、種子屋街道の別名があった。
三軒家の地名もあり、これは種子屋が三軒あったことによる。
種子屋は農家の副業から発展したといわれ、江戸期には野菜の種子の生産地として知られた。
旧道右手に残る東京種苗は、かつての種子屋街道の名残りの一つ。
建物は明治期の築。
![](https://assets.st-note.com/img/1716353303457-mdMCx8s99C.png?width=1200)
中山道旧道は掘割交差点へ。
元禄9年に玉川上水から分水された千川上水は、ここから中山道の下に敷設された木管により本郷、小石川方面へ給水されたが、慶応元年の滝野川反射炉建設に伴い、王子方面へも分水された。
これが掘割で開削され、掘割地名となる。
近くには千川上水分配堰の碑。
![](https://assets.st-note.com/img/1716353359713-WXltdzbZh6.png?width=1200)
中山道旧道右手に、亀の子束子西尾商店。
亀の子束子の発売は明治40年。
以来、今に続く超ロングセラー商品。
建物は大正11年築。
![](https://assets.st-note.com/img/1716353427003-s81pc1oC8G.png?width=1200)
滝野川地区の中山道旧道。
滝野川は石神井川の別名といわれ、特に下流の王子付近では溪谷状の深い谷を形成していたことから、滝のような川としてその名があった。
昭和7年から22年までは、滝野川区。
![](https://assets.st-note.com/img/1716353505805-fMa7kPBuu8.png?width=1200)