雑司が谷散人の街道遊歩 0680
中山道 3日目-02 2019.2.20
JR上尾駅前に近づくと、仲町。
かつての上尾宿の中心部。
上尾宿の本陣は塩尻宿に次ぐ大きさだったという。
江戸から約10里。
日本橋を早朝七つ立ちすると、最初の宿が上尾だった。
上尾駅手前左手に、氷川鍬神社。
地元では「お鍬さま」と呼ばれて親しまれる。
寛永8年、童子の引く櫃が上尾宿で動かなくなり、童子も消えてしまい、残った櫃を開けると鍬2本と稲穂があり、これを祀ったものという。
江戸期は御鍬太神宮。
氷川鍬神社境内に、上尾郷二賢堂跡。
聚正義塾と呼ばれた学舎の跡地で、朱子と菅原道真を祀ったことから「二賢堂(じげんどう)」という。
氷川鍬神社の正面にあったのが、上尾宿本陣。
その両側に脇本陣、鍬神社の南隣りにもう一軒の脇本陣があった。
上尾上町に入ると、右手奥に遍照院。
上尾宿の遊女だったお玉の墓がある。
宿の遊女から加賀藩前田家江戸屋敷に仕えることとなったお玉は、病身で25歳の若さで世を去り、宿の飯盛旅籠、大村楼の主人により墓が建てられたという。
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