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雑司が谷散人の街道遊歩 0786

日光街道 2日目-08 2019.5.8

国道4号は備後地区へ。
古く、備後国で行方知れずとなった観音像が、何故かこの地で見つかったと伝わる。

備後

東武野田線の築堤をくぐると、粕壁宿へ。
江戸から4番目の宿。
今は「春日部」と表記するが、もとは新田義貞の家臣、春日部氏の領地だったことからの地名で、江戸期には「粕壁」と書き、今も町名は「粕壁」の表記が使われている。

粕壁宿

江戸日本橋を朝早く立つと、粕壁が一泊目となる旅人が多かったという。
宿と並行して古利根川が流れ、北関東と江戸を結ぶ物資の集散地としても賑わった。
宿は日光寄りから上町、仲町、新宿、三枚橋と続いた。
天保年間の記録では、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒。

粕壁宿

日光街道旧道右手の蔵造りの商家は、東屋田村本店。

東屋田村本店

東屋田村本店前には、大きな道標が立つ。
日光、江戸、岩槻への道筋を示すもので、岩槻への道は大宮、清戸、府中を経て大山へ通じる大山道のひとつ。

東屋田村本店前の道標

粕壁宿の中心部が仲町。
米問屋などの商家や旅籠が多く軒を連ねた町。
商家の敷地は概ね細長い短冊状で、街道に面した「ミセ」と、その奥の居住空間「オク」とで構成されていた。

仲町

日光街道旧道右手に、永嶋庄兵衛商店。
慶長年間創業の米穀問屋で、建物は明治初期のもの。
屋根には鍾馗様も。

永嶋庄兵衛商店

新町橋交差点角には、浜島家住宅の土蔵。
こちらも江戸期からの米穀問屋で、蔵は明治初期のもの。
日光街道旧道はこの交差点を右へ折れ、新町橋で古利根川を渡る。

浜島家住宅の土蔵

この後、東武線春日部駅にて日光街道の旅2日目を終了。

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