雑司が谷散人の街道遊歩 0887
中山道 10日目-02 2019.8.9
河原宿の中山道旧道右手に、蔦屋の看板を掲げる建物は、かつての旅籠の跡だろうか。
千曲川の渡しを控えた旅人が出入りしたであろう当時の雰囲気を、そのまま残す。
中山道旧道は塩名田宿西端の、千曲川畔へ。
千曲川右岸に突き当たると、正面に「舟つなぎ石」の標柱が立つ。
流れの早い千曲川には、江戸期にも何度か橋が架けられたようだが、その度に流失を繰り返していた。
明治6年、舟をつないでその上に板を敷く舟橋が人馬を渡すようになり、舟つなぎ石はこの時に舟を繋ぐ為に使われた石。
千曲川を渡る中津橋。
舟橋に代わる近代的な木橋の架橋は、明治26年。
このとき中津橋と命名され、今の橋は昭和6年架橋のもの。
日本百名橋のひとつ。
埼玉、山梨、長野県境に聳える甲武信ヶ岳の長野県側斜面を水源とし、新潟市で日本海に注ぐ信濃川。
このうち、長野県内を一般的には千曲川と呼ぶ。
その名の通り、千の数ほども曲がりくねった川だが、千曲の名の由来には諸説あるという。