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雑司が谷散人の街道遊歩 0548
下田街道 1日目-09 2018.11.3
大仁橋の脇に、先代大仁橋の一部がモニュメントとして残る。
大正4年架橋の3代目の橋がそのまま4代目として使われたもの。
昭和33年の狩野川台風を耐えた橋。
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大仁橋の脇にもうひとつ、レンガの構造物が置かれているが、これは3代目大仁橋の橋台上部。
狩野川台風被災後も川の中に埋没していたが、近年引き揚げられ、保存されているもの。
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大仁橋の脇でお椀をひっくり返したような小山が、水晶山。
伊豆が海底火山だった頃の地層があり、かつては水晶が採れたという。
大仁温泉の文字がかろうじて見えるが、温泉は大仁鉱山から湧出した湯。
手前には先代大仁橋の橋台が残る。
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大仁橋を渡り、瓜生野の旧道に入る下田街道。
瓜生野は大仁鉱山で知られた場所。
下田街道右手奥の柳沢洞という谷地が主な金の採掘場。
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江戸期の大仁金山は、昭和8年に帝国産金興業(帝産)の買収により大仁鉱山として操業再開。
その後、温泉湧出を活用したヘルスセンターなども開業、帝産閣として観光地化され、大仁温泉が形成された。
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