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雑司が谷散人の街道遊歩 0802
美濃路 2日目-16 2019.5.22
美濃路旧道右手の大明神社前に、宮河戸跡の碑。
起宿に3ヶ所設けられた木曽川渡船場のひとつで、定渡船場が参勤交代などで利用が制限された際に、宮河戸が使われた。
八百清河戸とも呼ばれた。
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美濃路旧道右手に大明神社。
「大イチョウ」と「やまがき」という2つの大樹で知られる。
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起宿の美濃路旧道に面して、重厚な蔵造りの建物も残る。
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起宿定渡船場への入口に、湊屋。
渡船の管理をした船庄屋の下に付いた船方肝煎のひとり、湊屋文右衛門の屋敷で、濃尾地震を耐え抜いた江戸期からの建物。
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湊屋は渡船だけでなく、木曽川の年貢米輸送にも関わっていた他、寛政年間には縞木綿の仲買商としても急成長したという。
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湊屋前の交差点を左へ入ると、起宿定渡船場跡。
宿の3ヶ所の渡船場のうち、最も広く利用された渡船場で、両岸には常夜燈が置かれた。
渡船は明治期以降も続き、昭和31年の濃尾大橋完成まで生活に欠かせない交通手段として重要視された。
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起宿定渡船場跡には、水上交通の守護神でもある金刀比羅神社。
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この後、湊屋さんでおはぎをいただいてから、バスで一宮へ。
名鉄起線を受け継ぐバスで、美濃路の旅2日目を終了。