雑司が谷散人の街道遊歩 0618
京街道 2日目-05 2018.12.19
木津川の御幸橋から下流方向を見ると、平成22年まで活躍した2代目御幸橋の橋台跡が残る。
昭和41年までは国道1号の橋。
御幸橋を渡り終えると、京街道は京阪八幡市駅手前を右へ折れるが、直進する道は高野山へ至る東高野街道。
京と河内国府を結ぶ道筋としても重要だったという。
京阪八幡市駅北側の小さな路地として残る京街道旧道。
このあたりの地名は科手(しなて)。
石清水八幡宮の境内地として、八幡八郷のひとつとなった地だが、木津川の付け替えにより本来の科手の集落は水没し、八郷のうち美豆、際目、生津といった集落も、今は川向こうとなっている。
木津川左岸の堤防下を進む京街道旧道。
このあたりの地名は橋本尻江。
男山と天王山に挟まれた狭隘地に、桂川、宇治川、木津川が流れ込む地。
尻江から奥ノ町へ入ると、京街道旧道左手に二宮忠八飛行器工作所跡の案内板。
ライト兄弟に先駆けて飛行原理を具現化した玉虫型飛行器の制作に取り掛かった場所。
飛行機ではなく飛行「器」。
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