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雑司が谷散人の街道遊歩 0724
暗越奈良街道 1日目-07 2019.3.20
布施柳通交差点から、暗越奈良街道の旧道が府道の左へ分かれる。
角には歌碑。
旧道の左手が高井田。
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暗越奈良街道旧道は、高井田地区を東へ進む。
古くからの湿地帯のうち、高所だったことに因む地名。
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高井田は古く湿地帯だったというが、深江に昔から笠職人が多く、深江の周囲が良質の菅草の自生地だったことを物語っている。
深江の笠職人は、伊勢神宮の式年遷宮で使われる笠も献上していた。
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JRおおさか東線の高架をくぐると、暗越奈良街道旧道に褐色の道標が立つ。
手前側に枚岡までの里程、反対側に高麗橋元標までの里程が刻まれている。
明治期のものか。
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暗越奈良街道旧道は御厨地区へ。
このあたりの旧道もぐにゃぐにゃと小刻みに曲がりくねる。
御厨とは、神前に供える神饌を調達する場所といわれるが、古くは大きく蛇行していた大和川流域一帯に「大江御厨」があったとされ、この地もその一部に含まれていたという。
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