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雑司が谷散人の街道遊歩 0835

日光街道 3日目-07 2019.6.13

日光街道旧道は、志手橋で倉松川を渡る。
古くから日光街道と御成道の追分の端として、人の往来が多かったという。倉松川はかつては川幅も広く、志手沼と呼ばれた。

志手橋

幸手宿は、江戸日本橋から6番目の宿。
日光御成道としても同じく6番目。
日本武尊の東征の際、「薩手が島」に上陸と伝わるが、この「薩手が島」が幸手の地名由来という。

幸手宿

日光街道旧道右手の「上庄かふぇ」は、江戸末期の旧岸本家住宅。
醤油の醸造と販売を行っていた家。
街道に面して妻入りで建ち、カフェとして再生された今も、独特の外観が目を惹く。

旧岸本家住宅

日光街道旧道右手の古い商家は、小島商店。
かつての薪炭商、絹糸商。
建物は昭和12年築。

小島商店

日光街道旧道左手には、酒店の永文商店。
建物は震災後のもの。
店の脇に、敷地奥の倉庫までつながっていた、荷出し用の線路の一部が残る。

永文商店

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