雑司が谷散人の街道遊歩 0613
京街道 1日目-11 2018.12.18
京街道旧道から京阪中書島駅へ抜ける商店街が、龍馬通り。
寺田屋事件で知られる旅籠寺田屋の東側を南北に通り抜ける細い路地。
龍馬通りを過ぎると、京街道旧道は次の交差点で竹田街道と合流。
その角に煉羊羹発祥の駿河屋本店。
天正17年に秀吉に献上された煉羊羹が、今につながる煉羊羹の発祥。
店の前には電気鉄道事業発祥地碑。
明治28年にここから京都七条までを、日本最初の路面電車が走った。
竹田街道の道筋を南へ進むと、京橋。
伏見宿の中心地で、淀川水運の船着場として大いに賑わった場所。
淀川の三十石船や京都市中からの高瀬川を往来した高瀬舟、宇治川からの柴舟など、数え切れないほどの船が昼夜ひしめいた場所。
京橋の下を流れるのは、宇治川派流。
かつてはこの流れに沿って問屋や旅籠、酒蔵が並び、それらを結ぶ小舟が無数に往来していた。
京橋付近の両岸は伏見浜と呼ばれた荷揚げ場で、伏見港の中心地。
京橋の先、伏見土木事務所前に伏見長州藩邸跡の碑。
元治元年、長州藩家老の福原越後は500名の兵を率いて京都へ進軍するも、会津兵らに阻止され敗走。
藩邸は京橋からの砲撃で焼失した。
京橋から中書島までの道は、昭和45年まで京都市電9系統、18系統の走った道。
京街道は中書島交差点へ。
中書島は淀川、濠川と宇治川派流に囲まれた島状の地。
文禄年間、中書様と呼ばれた脇坂安治がこの地に屋敷を建てたことに因むという。
江戸期に高瀬川が開削されると、京と大坂を結ぶ要衝となり、伏見城下の遊郭が移され、祇園を凌ぐ花街となったことも。
この後、京阪電車の中書島駅にて京街道1日目を終了。
まだ少し日が高いので、伏見名所の酒蔵をぶらぶら。