雑司が谷散人の街道遊歩 0123
矢倉沢往還 4日目-02 2017.5.5
目久尻川を越えると、大山道旧道は伊勢山の南側を回り込む。
こんもりとした山が、鮮やかな新緑で包まれる。
伊勢山に沿う大山道旧道。
ふと見ると、山を背に立つ石像がひとつ。
今のように宅地化される前は、伊勢山と目久尻川に挟まれた寂しい道筋を、じっと見守り続けてきたのだろう。
目久尻川から相模国分寺へと流れた逆川。
昭和40年代には埋め立てられてしまったが、平安時代以前に目久尻川から国分寺へ物資を運んだ運河ではないかといわれ、大山道旧道の伊勢山南側に「史跡逆川」の碑が立つ。
伊勢山の西側、大山道旧道右手に視界が開けると、広々とした相模国分寺跡に出る。
相模の国分寺はもともと小田原にあったともされるが、741年の聖武天皇の詔により建立されたとも。
近くに相模国府が無いのが謎といわれる。
相模国分寺跡の寺域は、東西240メートル、南北300メートルに及ぶ。
伽藍配置は法隆寺式で、東側に金堂、西側に塔。南に中門、その正面に講堂。
中門と講堂は四角い回廊で繋がる。