雑司が谷散人の街道遊歩 0783
日光街道 2日目-05 2019.5.8
日光街道は瓦曽根交差点から左へ旧道が分かれ、これより越ヶ谷宿に入る。
その分岐点に里程標。
東京雷門、浦和、大宮、川口、鳩ヶ谷などの地名が見え、さほど古いものではないようだ。
越ヶ谷宿は江戸日本橋から3番目の宿。
元荒川を挟んで南側の越ヶ谷と、北側の大沢を合わせた宿で、日光街道、奥州街道の整備が始められて間もない時期に、宿場として制定された。
越ヶ谷宿の東方、今の御殿町は、慶長9年に家康によって設けられた越ヶ谷御殿の跡地。
元荒川沿いの低湿地で、鷹狩や日光社参の際の休泊に利用された。
明暦の大火で江戸城焼失の際、御殿は解体され、江戸城再建に再利用されたという。
日光街道旧道左手の下見板張が美しい建物は、横田診療所。
元は越谷郵便局で、昭和10年築。
横田診療所の少し先を左へ入ると、油長内蔵。
江戸期からの越ヶ谷宿の旧家、山崎家の内蔵を曳家改修して保存している。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?