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雑司が谷散人の街道遊歩 1035
日光御成道 1日目-02 2019.12.4
本郷通り右手に、「旃檀林」の額が掛かる山門を構える吉祥寺。
太田道灌が江戸城内に開いたことに始まる寺で、家康入府時の駿河台への移転を経て、明暦の大火後にこの地へ移転してきた。
旃檀林は常時1000人余の学僧を抱えた学寮で、後の駒澤大学の前身。
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吉祥寺の七堂伽藍は戦災で焼失したが、享和2年築の山門と、同4年築の経蔵が残る。
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吉祥寺の少し先を右へ入ると、駒込天祖神社。
江戸期には駒込神明宮と呼ばれ、源頼朝が奥州征伐の途中にこの地で霊夢のお告げを受け、ここに神明を祀ったという。
境内は戦災で焼失したが、戦後に再建され、イチョウ並木の美しい参道の奥に神明造りの社殿の佇む姿が見られる。
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富士神社入口交差点を右へ入ると、駒込富士神社。
都内各地に残る富士塚の中でも規模が大きく、江戸市中で最も古い富士講組織のひとつがあったという。
町火消の信仰を広く集めたようで、富士塚には火消頭らが奉納した石碑が多く残る。
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上富士前交差点を過ぎると、本郷通り西側の裏手は六義園。
5代将軍綱吉の側用人、柳沢吉保の下屋敷の庭園で、もとは加賀藩前田家の下屋敷跡地。
千川上水の水を引いて造られた回遊式築山泉水庭園。
明治期に入ると三菱財閥の岩崎弥太郎が購入。
今も残る周囲の煉瓦塀は、このとき建てられたもの。
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