雑司が谷散人の街道遊歩 0991
日光街道 8日目-06 2019.10.23
国道を進むと、左手に日野為商店。
慶応4年創業の味噌、醤油販売の商家。
「日野」の名は、近江日野商人の流れを汲むことを表す。
日野為商店前を国道から右へ入る通りが、会津若松城下へ通じた会津西街道。
会津藩主、保科正之の整備した道筋で、会津側からは下野街道、南山通りなどと呼ばれた。
今市宿の地は、古くは今村と呼ばれていたが、宿となり市が開かれるようになったことから、今市の名が生じたという。
日光街道の他、例幣使街道、会津西街道、日光北街道などの集まる要衝の宿。
国道左手の旧家は、彫刻家手塚登久夫の生家で、もとは旅籠の建物。
上今市の国道右手に浄泉寺。
眼病治癒で信仰を集めた薬師如来で知られる。
境内には、蕎麦を献上したら子供の夜泣きが治ったという「そば喰い」沢蔵司稲荷があり、「今市そば」の原点ともなっている。