見出し画像

雑司が谷散人の街道遊歩 0938

六本松通り大山道 07 2019.9.16

曽我の梅林は、梅の実を兵糧用とするために小田原北条氏によって植えられたことに始まるという。
箱根越えを控えた小田原の地では、梅干が旅人にも重宝されたようだ。

曽我梅林

梅林の一画に、大山道の案内板。

曽我梅林

曽我梅林から六本松への大山道旧道右手に、二宮尊徳遺髪塚。
曽我別所村には尊徳の母の実家、川久保家があり、尊徳が家の再興に力を貸したことから、尊徳に仕えた川久保家の子息が遺髪を持ち帰り、その孫の代に塚が築かれたものという。

二宮尊徳遺髪塚

大山道旧道は、六本松へ向けて曽我山を登る急坂となる。

曽我山への道

急坂の続く大山道旧道。
振り向けば、小田原市北部の市街地と、その先の足柄の山々を望む。

曽我山

いいなと思ったら応援しよう!