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雑司が谷散人の街道遊歩 0856
美濃路 4日目-02 2019.6.23
美濃路の道筋は竹島町へ。
大垣市内には他に大島町、島里町など、「島」の字を使った地名が多いが、これらは輪中地帯の中の微高地で、早くから人が住んだ地。
そもそも大垣の地名自体が、輪中の中で洪水から家や集落を守るために築かれた大きな垣(堤)に因む。
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美濃路の道筋の右手角に、問屋場跡の碑。
角の建物には、美濃路や大垣宿についての手作りの案内板などが多数掲示されている。
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問屋場跡から西へ向かうと、右手に本陣跡。
大垣宿の規模は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒。
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本陣跡の先で、美濃路の道筋は大垣駅前からの大通りに出る。
大垣宿は東西に約2.9キロと長く、名古屋口の東総門から京口の西総門までも約1.1キロの距離があった。
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美濃路の道筋は、本陣跡から駅前通りを挟んで鉤の手状に曲がり、小さな路地に入ると、右手に「柿羊羹本舗つちや」。
重厚な建物は濃尾地震直後の建築とのことで、立派な屋根構えのある看板が目を惹く。
看板にはローマ字表記の浮き彫りがあり、時代の先端をいく人気店だった歴史が伺える。
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