雑司が谷散人の街道遊歩 0996
日光街道 8日目-11 2019.10.23
生岡神社に近い七里の地は、勝道上人が日光山を開くにあたり、生岡で17日間の護摩修行を行ったことから、生岡から神橋までの距離7里から生じた地名という。
6町を1里としての7里。
国道119号は宝殿交差点を過ぎると、筋違橋で志渡淵川を渡る。
街道と川が筋違いに交わった場所という。
旧七里村と鉢石村の境界。
日光街道旧道は宝殿地区へ。
ドイツ人医師、ベルツ博士が明治37年の日記に「世界で一番美しい並木」と記した風景。
JR日光線のガード下をくぐると、国道右手に日光街道旧道が分かれる。
この先は日光駅。
国道119号はJR日光駅前へ。
日本鉄道支線の終着駅として開業したのは明治23年。
今の駅舎は大正元年築で、長らく設計者不明とされていたが、近年の研究では当時の鉄道院技手の設計とされる。
ハーフティンバー様式の木造2階建てで、2階は一等車客専用の待合室だった。