雑司が谷散人の街道遊歩 0973
日光街道 7日目-04 2019.10.14
旧大黒町の先は、旧茂破町。
宇都宮城下に日光街道が開かれる以前、このあたりは一面の原野で、「茂」を「破」って町を開いたことからの町名という。
明治期には茂登町と称した。
宇都宮市街の中心地が近づくと、旧挽路町。
元和5年、宇都宮城主本田正純が、この地に新たな日光街道の道筋を開いた際、付近の道を西へずらすように引いて町を開いたことに因む町名。
このあたりは、二のつく日に市が立つ二日市で賑わった街。
日光街道旧道は材木町へ。
宇都宮藩の御用材を扱う材木問屋が集まっていた場所。
この先、日光街道の道筋は裁判所前交差点を右へ折れ、国道119号へ。
裁判所前交差点のひとつ先の信号を左へ入る本郷町通りが、日光街道旧道の道筋。
信号は奥州街道との追分で、直進して曲師町方面へ向かうのが奥州街道。
日光街道旧道は、旧本郷町へ。
釜川西部のこのあたりは、古くは西原と呼ばれ、その中心集落だったことから本郷町と呼ばれるようになったという。