雑司が谷散人の街道遊歩 0404
金沢道 06 2018.5.20
能見堂のルーツは、藤原道長が設けた草庵といわれ、寛文年間に久世広之が芝増上寺からこの地へ地蔵院を移したものという。
広く知られるようになったのは、歌川広重の浮世絵によるもので、元禄期に禅僧心越がここからの風景を中国の瀟湘八景になぞらえて金沢八景の漢詩を詠んだという。
能見堂の名の由来には諸説ある。
平安期の宮廷画家、巨勢金岡はあまりに見事な景色にのけ反ったそうで、ここから「のっけ堂」とも。
能見堂跡から、金沢道旧道は一気に下りとなる。
この先は金沢文庫駅北西部の谷戸状の低地で、谷津町の地名がある。
能見堂跡から下り切ると、住宅地への入り口に六国峠入口の標識が立つ。
六国峠は金沢道旧道から天園、鎌倉方面への道にあり、伊豆、相模、武蔵、安房、上総、下総の六国を望むことからその名がある。
山道から一転、住宅街の道となる金沢道旧道。
この辺りは三方を山に囲まれた谷戸地形。
町名は谷津町。
道端には道祖神など。