雑司が谷散人の街道遊歩 0801
美濃路 2日目-15 2019.5.22
美濃路旧道は起宿へ。
左手の尾西歴史民族資料館の並びに、起宿脇本陣跡でもある旧林家住宅。
江戸期の建物は明治24年の濃尾地震で倒壊し、今はその跡地に大正2年から昭和初年にかけて再建された、主屋と裏座敷が残っている。
木曽川沿いの起宿は、尾張国と美濃国との境であり、木曽川の渡船場は今の濃尾大橋北側の定渡船場の他、濃尾大橋手前の宮河戸、そのさらに下流側の船橋河戸の3ヶ所があった。
起宿の宿役は、起村の他に小信中島、冨田、東五城、西五城の各村で負担し、これらは「起五か村」と呼ばれた。
美濃路旧道から木曽川左岸の起第二陸閘へ曲がると、右手に船橋跡の碑。
起渡船場の最下流にあった船橋河戸には、将軍上洛時と朝鮮通信使通行の際、およそ270隻の船を使った船橋が架けられた。
今の起宿付近には鉄道駅は無いが、昭和28年まで一宮と起を結んでいた軌道線が、名鉄起線。
乗客の増加に対応しきれずにバス転換されたという、珍しい事例。