雑司が谷散人の街道遊歩 0597
東海道 28日目-17 2018.12.5
東海道旧道左手には、竹鼻の地名がある。
天智天皇陵造営の際、その陵守として置かれた家のひとつが、竹鼻氏という。
旧三条通りこと東海道旧道左手に、五条別れの道標。
西日本では脇街道の分岐点を「別れ」と呼ぶことが多いが、ここは三条通りの東海道から清水、五条方面への道が分かれる場所。
徳林庵前で見た道標と同じく、沢村道範によるもの。
東西本願寺や今熊野、清水などへの道を示す。
旧三条通りこと東海道旧道は、御陵地区に入る。
御陵とは天智天皇陵による地名で、読みは「みささぎ」。
東海道線の高架下をくぐる手前で、三条通りに合流する東海道旧道。
高架の先には平成9年まで京阪電車の線路が横切っていたが、地下鉄乗り入れに伴って地下化され、今は線路跡が遊歩道になって御陵駅方向へ通じている。
三条通り右手に天智天皇陵への入口。
正式には御廟野古墳で、天智天皇陵に治定、すなわち決定的とされている古墳。
天智天皇陵入口の先で、東海道旧道は三条通り左手へと分かれる。
東海道最後の難所、日ノ岡峠へ向けて、道は緩やかに上がっていく。
御陵の旧道にあったのが、御陵一里塚。
江戸日本橋から125里目であり、京都三条への最後の一里塚だったが、残念ながら痕跡は無い。
日ノ岡峠へ向かう御陵の東海道旧道。
このあたりの旧道左手は、日ノ岡ホッパラ町。
京都にカタカナ地名があるというのも面白いが、由来は土捨て場としての「放土原」、または罪人の遺骸を埋めた「掘原」など、諸説あるようだ。
この後、地下鉄御陵駅へ出て、東海道の旅28日目を終了。
次回はついに東海道の最終回。
京都の三条大橋を目指します。
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