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雑司が谷散人の街道遊歩 0789
美濃路 2日目-03 2019.5.22
美濃路旧道は五条川を渡る五条橋へ。
名古屋の四間道の手前で見てきた堀川の五條橋は、もとはこの清須の五条橋で、堀川開削と同時に清洲越しで橋も移された。
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五条川の名は、尾張守護職を世襲した斯波氏が、京都の五条に住んだことから「五条殿」と呼ばれたことに因むという。
清須が尾張の中心だったことを物語る。
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五条橋を渡ると、右手に清洲古城趾の碑が立つ。
ここから五条川沿いを北へ向かうと、清洲越しで廃城となった清洲城趾で、今は東海道線と新幹線が城跡を分断している。
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五条橋を渡ると、少し先で旧道は鉤形に曲がるが、その左手に清涼寺。
このあたりが清須宿の中心部で、清涼寺は幕末まで時の鐘の役割も果たしていた。
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清涼寺を背に美濃路旧道を北へ進むと、左手に林本陣の跡地。
林家は医者で、今の「キヨス林医院」の建物は大正期の築。
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