
雑司が谷散人の街道遊歩 0727
暗越奈良街道 1日目-10 2019.3.20
花園ラグビー場前交差点から左へ分かれる暗越奈良街道旧道。
小学校に沿って鉤形に曲がると、松原宿。
松原宿は街道唯一の宿場で、16軒の旅籠があったという。
西に吉田川、東に恩智川に挟まれたこの地は、街道と水運の交わる要衝で、地域の中心地として発展してきたが、今は往時の面影も僅か。

暗越奈良街道旧道は、英田小学校東側を北へ向かう。
宿場として賑わった当時、小学校南側の東西の道筋を六軒町通り、東側の南北の道筋を横町通りと呼び、寛永年間に16軒あったという旅籠は、主に横町通りに沿って並んでいた。

松原宿から東へ向かう暗越奈良街道旧道沿いに、水走の町名がある。
松原宿を挟むようにして流れた吉田川と恩智川が、かつては生駒山麓の地形の為か、流れの速い川だったことに因む。

暗越奈良街道旧道は恩智川を渡る。
生駒山地からの小さな流れをいくつも取り込みながら、北へ流れ寝屋川に合する。
かつては川幅が狭く、河床も浅かったことから洪水も多かったようだが、治水工事のされた今は、穏やかな表情を見せる。

恩智川を渡ると、暗越奈良街道旧道は宝町へ。
ここからは旧枚岡市域。
昭和42年に布施市、河内市と合併して東大阪市となる。
