
雑司が谷散人の街道遊歩 0129
矢倉沢往還 4日目-08 2017.5.5
糟屋宿は下宿と上宿で構成され、それぞれにバス停が立つ。
横浜の開港後、柏尾通り大山道を使って多くの外国人が大山巡りをしたようで、幕末の糟屋宿も賑わったようである。

糟屋上宿の北側、国道246号の先には丸山城址の公園がある。
糟屋有季がこの地を領した鎌倉時代の城、その後の室町時代の扇谷上杉氏の糟屋館の出城ともいわれる。
糟屋館は太田道灌最期の場所。

糟屋上宿バス停の先、大山道旧道右手に下糟屋公会堂。
味わいのある懐かしい建物。

下糟屋公会堂の隣に、茅葺の社殿が美しい高部屋神社。
糟屋宿手前で渡った渋田川の水源、渋田山がこの神社の旧地で、糟屋有季が領地の鎮守にこの地へ移したという。
延喜式に記載のある式内社。

糟屋宿から国道246号を北側に渡る大山道旧道。
東海大学病院南側を抜けると、渋田川の市米橋に出る。
ここは大山道と矢倉沢往還の分岐点。
大山道は右へ別れ大山へ。
矢倉沢往還は直進し善波峠へ。
これまで矢倉沢往還と書いたり大山道と書いたりが混在したが、この先は純粋に矢倉沢往還となる。

市米橋の脇に、咳止め地蔵の小さな祠。
かつて、この付近は新田開発のために渋田川を堰き止めた場所といわれ、これが咳止めに転化し、ここにあった地蔵に咳止めを願うようになったとか。

伊勢原市田中地区を進む矢倉沢往還。
ふと見ると、洋風の窓と玄関ドアのついた蔵造りの建物が。

矢倉沢往還は国道246号に合流し、伊勢原駅入口となる伊勢原交差点へ。
ここは藤沢からの田村通り大山道との交差点でもある。
商店街で頻繁に目にするのが、日本遺産大山詣りの旗。
平成27年に文化庁が認定。

この後、伊勢原駅へ出て矢倉沢往還4日目を終了。