オーガニック狂信者VS科学の民という地獄

Twitter(私は抵抗し続けるぞ)などで,  添加物,  グルテンフリー,  電磁波など訳の分からないことを言っている人を見ることがある.  そしてそれに対して,  科学的に論破しようと試みる人もいる.  これほど地獄なことがあってたまるか.

例えば添加物.  まずこれらが癌を引き起こす原因となっているという主張はあほらしいにも程がある(添加物ではないが,  タバコという明らかな害悪もあることにはあるが,  それでも体質などに依存していることは言っておかなければならない).  データを曲解しすぎだ.  安全性試験をクリアしているものをこねくりまわすな.
しかし,  これとは矛盾するようだが私はあまり添加物の入った食品は食べたくない.  添加物の入った食品のほとんどは高度に加工されている.  そしてそこには大量の塩,  (様々な種類の)糖,  脂肪が入っている.  風味が全くない.  もはや食べ物ではないレベルだ.
つまり,  添加物の有無はそれが食べ物であるかどうかの指標となる.

しかし,  ワインなどに加えられる亜硫酸塩.  これは品質を保つために必要である.  ハムに加えられる亜硝酸塩やチーズのナタマイシンも同じだ.  しかし,  ハムに加えられる水あめや大豆タンパクなどはただのかさ増しや安いつなぎであり,  同等に扱うべきでない.

ハムについてややこしいのが,  もともと岩塩に含まれていた亜硝酸塩が発色や保存性を良くするということから,  岩塩を精製塩と亜硝酸塩の混合物に置き換えてハムを作るようになったことだ.  確かに精製塩と亜硝酸塩の混合物なら,  品質も変わらず確実にその恩恵を受けられる.  しかし,  これは非常に還元主義的であり,  言わば近似した結果だ.  岩塩には何も塩化ナトリウムと亜硝酸塩だけが含まれている訳ではない.  微量の金属元素やその他様々な微量元素がある.(例えそれが人体に有害であったとしても)  これらの物質がハムの味に全く影響を及ぼさないと誰が確かめることができるだろうか?  分析器だけでは分からない味の変化があったとしたらどうだろうか?  季節によって,  その時によって変わるハムの味が悪だと誰が言った?(もちろん工業生産的にそのような不安定要素が邪魔であることは確かだ.)  仮に有害な元素が含まれていたとして,  その効果が出てくるまでにどれだけのハムを食べ続ければ良いのかという問題が発生する.  これは結局,  添加物の話と何も変わらない.

例えばグルテン.  確かに小麦アレルギーの人やセリアック病の人にはグルテンフリーが不可欠だ.  しかしグルテンフリーに健康効果があることの確固たる証拠はどこにもない.  迷信以下の眉唾物だ.  だが,  グルテンフリーをきっかけに小麦以外の穀物に触れ,  世界の様々な穀物の美味しさを知る.  このようなシナリオなら喜ばしいことではないか?  グルテンフリーはなんの根拠もないオカルトであることには変わりないし,  人に押し付けることは万死に値するが,  それを強烈に批判することもまた地獄であるだけなのだ.

例えば水道水の塩素(が含まれる化合物).  これらが健康に及ぼす被害はない.  しかし,  味については別だ.  テイスティングで変わりないと評価されたとも言われているが,  それはあくまで素の状態の話.  コーヒーを淹れるとき,  お酒を作るとき,  ブロードをとるとき,  全く影響がないと言い切れるか?  加熱によりカルキは抜けると言われているが,  水に含まれるミネラル分によっても味は変わってくる.  紅茶は硬水で淹れたほうが美味しいというのはよくご存知だろう.  川の水は危険であると言われているが,(もちろん生水を飲むことは危険だし,  一見綺麗でも汚染された川はあるが)その安全性が認められた川や井戸の水を使うことは何も悪いことではない.(実際お酒造りに利用されているし,  山奥に住む人が井戸水を利用している映像を見たことがある人は少なくないだろう.)  それを無視して日本の浄水技術だけをもてはやしてボトルウォーターのほうが危険だ(中には怪しいものもあることにはあるが)と騒ぎ立てるのは筋違いである.

例えば有機栽培.  現在,  農薬は人体に害を及ぼす量使われていない.  有機栽培と慣行栽培で栄養素や味に違いはないと言われている.  しかしあくまでそれは分析器による結果であって,  微量だったり,  見過ごされている因子や野菜そのものの構造や水分のいきわたり方などに違いがあるかもしれない.  これらを無視して成分だけで比べるのは愚かな行為だ.  テンプレートだけで比べても実際の人間に当てはまるかどうか分からない.  人間はロボットではないのだ.  また,  適切な方法をとられた有機栽培は環境保護にもつながる.

危険性というのは単純なようで複雑である.  たとえばドラッグ.  今でこそ多くの国で厳しく取り締まられているが,  昔はコカの葉や麻の葉などを儀式に用いていた.  こうした人々が他の人と比べて健康への影響があったかどうかは定かではないが,  少なくともその行為は文化に根付いており,  その行為をしないことで集団から排斥されて死んでしまう.  このような状況下では体に害があったとしても向精神的な植物を摂取することを選んだほうがよい.  お酒も昔は水の代わりに飲まれていた.  清潔な水が手に入らない状況でアルコールの危険性を考える人間がどこにいるだろう?(もちろんこれはあくまで昔の話であって,  今やるべきではない.)  例えとして相応しくないと思うかもしれないが,  私はいまの論争はこれと似たようなものであると私は思っている.

私はつくづく不思議に思っている.  物理は理論が近似であることを認めているのに,  栄養学は認めていないのか.  今,  現時点で分かっていることがある.  それがたまたま上手くいく.  これが本来科学のあるべきスタンスだと私は思っている.  「科学は宗教である」と言っている人がいた.  我々はそうして少しずつ生活を豊かにしてきたのだ.

ホモサピというYouTuberをご存知だろうか?  彼はドブの生き物を食べて,  明らかに汚染されたものを摂取している.  本当に添加物やその他のものが危険なら,  彼は今頃死んでいるだろう.  もしヒ素が無条件に危険なら,  玄米をたべていた昔の日本人は皆死んでいただろう.  もし岩塩で作ったハムが危険なら今我々はハムというものを知らない.  もちろん科学技術の発展により死亡率は減った.  これは紛れもない事実である.

料理は科学だともいう.  しかし料理は還元主義ではない.

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