何者にもなれないと悟る30代。
「何者かになりたい」
と、若い頃は思っていた。
僕だけじゃなくて、友だちも兄貴もきっとそうだった。
やたら難しい哲学書読んでみたり、
格闘技をしてみたり、
目立つようなことをしたり、
でも僕たちは心のどこかでは気づいていた
こんな中途半端なことしてても何者にもなれないと
歳を重ねると気づく、
結局、積み重ねが重要だと
しっかり勉強してきた人はきちんと仕事ができるようになっているし
信用ある行動をしてきた人の回りには信用できる人が集まる。
もちろん貯金をしてればお金も貯まる。
正直僕は、10代の頃は適当だったし、努力らしい努力はしてこなかった。
友だちからの電話は折り返さないしバイトの面接も面倒くさくなったら行かないようなダメ人間だった。
でも、20代で変わった。
目の前の人を助け、その時できる精一杯の努力をして、人から信用される行動を心がけるように頑張った。
そして30代に入り、20代の頃に頑張って意識していたことは
すでに習慣になり、無意識にできるようになった。
そして中卒の僕にとって出来すぎるくらいの人生を過ごせている。
歳を重ねる毎に何者かになろうという気持ちは無くなっていった。
過去を美化しようとも思わないし
地位や名声にも興味がなくなっていく。(それなりに豊かにはなりたいけど)
家族や友人に恵まれて、
好きな仕事に就けていること以上に求めることがないからだ。
でも、向上心が無いわけじゃなくて
常に今よりも人の役に立てるようになりたいという気持ちでずっと勉強は続けている。
でもこの努力は「何者かになるため」の努力ではなくて
幸せであり続けるための努力だったり
知的好奇心を満たすだけの行為に近い。
僕らの年代になると、自分のためではなく誰かのために生きる割合が高くなる。そして誰かのために生きることも幸せだということに気づく。
むかし、祖父が親父にこう言ったらしい
「生きることは、40億分の1だということを理解することだ」
僕はこれを「誰かのために生きられること」だと解釈している。
妻のため、子どものため、友人のため、仕事仲間のため、クライアントのため、見ず知らずの他人のため。
他者のことを考え、時間を使える人間かどうか?が大事なのだ。
そうでなければ、いくら自分で「俺は王様だ!」と叫んでも
回りの人からは自分のために生きている利己的な人と言われるだろう。