宣言解除に思う田舎のサーフポイント事情
コロナの制限が解除され久しぶりに活気ある週末だった。晴天にも恵まれ観光地には溢れる他府県ナンバーの車。また第何波が・・・、みたいなネガティブが頭をよぎりながらも、人の笑顔が増えるのは人として素直に嬉しいと思う。
ただ僕が住む町のサーフポイントに地元鳥取ナンバーを見ることができなかったのは、やるせなさを感じざるを得なかった。毎週末なんとなく集まるいつもの顔、平日でも波があれば見るあの人この人・・・、誰もいなかった。
宣言解除を聞いて早めにポイントを目指した「いつもの」人も夜中に着くいたが車を停めることはできなかったと、悔しがっていたと聞く。所詮田舎の人数は知れており、都市圏から大挙押し寄せられると圧倒的に少数派に成り下がってしまう。素直に悲しい。
立ち話でも飲みの席でもその悲しさを吐露すると、「そんなもん地元優先が常識!ビジターには圧力をかけて、地元のもんがちゃんとできるようにするべきだ!」みたいな武闘派の話が心をザワつかせる。話を重ねていくにつれて武闘派じゃなくても大なり小なりそんな気持ちはみんなが持っている。
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僕はこの田舎町に住んでほぼ4年になる。そして武闘派ではない。長年続けた都会のサラリーマンを落第しながらもこの町に住み続けられているのは、この町が「武闘派」ではないからなんじゃないかなと思う。そこは僕がここに住むうえで非常に重要であることに間違いはない。
でも、地元のもんが他所(よそ)もんに追い出されている事実を見て、何とかしなきゃと思わすにはいられなくなった。田舎は人数が少ないからと言うのが大きいが、僕がこの町では一番年上の世代と言うこともそう思わずにはいられない要因ではないかと思った。
飲みの話の中では、このエリアで県外から訪れたマナーの悪い車にキレた漁師が、フォークリフトでそいつの車を海に放り投げたとの話も聞く。ただ「年上」としてはそう言った最悪の事態は避けたいと思う。僕に何ができるかと考えさせられた宣言明けの週末となった。
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また飲みの席で東京から移住してきた教育関係の人が、田舎の何もない駅で高校生がタムロしていることの何が問題なの?とぼやいていた。田舎では些細なことが問題になってめんどくさいと。その人もサーファー、だがビーチの来訪者の多さに辟易していた一人だ。
都市部では都市部のサーファーのスタイルがある。田舎には田舎のサーファーのスタイルがある。サーフィンに限らずスタイルは全く違うことは頭ではどなたも理解していると思うが、じゃあそこに合わせることができるかと言えばそれは別なんだろう。
海外に行ってベッドメークにお金を払う感覚は、日本人には違和感を覚える人は少なくないだろうがほとんどの人はやっていると思う。じゃあ違和感を覚えながらもチップを払うのは何故?それはベテランの先輩から教えられたり、ガイドブックにマストとして書かれているからだろう。
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今日はこのエリアの現役最長老と海を見ながらいろんな考えを話し合った。そして改めてこのエリアのサーファーの優しさ(時にはユルすぎて腹立たしいこともあるけど)に、改めて敬意を払わざるを得なかった。
僕は朝起きて顔を洗うように、晩に風呂に入るような感覚でサーフィンをする。サーフィンは日常だ。だが来訪者はイベントに臨むようなアゲアゲテンションでサーフィンしに来る。理解を求めるのは難しいかもしれないが、出来ない理由を並べ立てるのもこれまた違うとも思った。
それにはここのサーフィンの文化やしきたりを分かりやすく表現し、伝える表現やツールを考慮しながら、地元の人(サーファーであるなしに関わらず)や行政や警察など町ぐるみでの対策を考えなければならないきっかけになったんじゃないかとも思う。
長老にも「ここの人はそういうのが苦手だけぇ、でもここに住んどる人が声を上げるのは大事なんで、頑張ってや!」と言われ、ローカルとビジターの気持ちいいサーフスタイルを模索したいと気持ちを改めさせられました。
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いつまでもこのエリアでローカルとビジターが笑顔で平和にサーフィンし続けるために、僕一人ができることはたかがしれてますが、まずは一人から出来ることを考え、行動したいと青い海と空に心を揺り動かされています。
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