詩が好きだ

僕は今大学生なわけだが、周りの人たちの多くは誰とヤったかとか、どこの大学の女の子がかわいいとかに興味があって、話のネタにしたいらしい。それも別に構わないのだけれど、「詩を読むのが好き」と言ってもなんの違和感も持たれないような空間をうらやましく思ってしまう。
僕は詩が好きだ。なぜかといえば、詩は僕に元気や勇気を与えてくれるからだ。どうしてか、変に知人に「がんばれがんばれ」と言われるよりも、顔も知らない人の数十字の文章を読むほうがみなぎってくる。たぶん、これは詩が"本気"だからだと思う。詩を書く人はきっと人間の気持ちというものを十分に観察し、考察をしているんだと思う。
「詩が好き」と言うと、あまり詩を読んだことのない人は「この人は深い事を言ってる人が好きなんだ」というような解釈をするんだけども、それは違うんだ。詩とその作者の思いやりが好きなんだ。優しいんだけれども芯があって背中をぐっと押してくれる、そんな思いやりが好きなんだ。
しかし、そういった詩は、人間の気持ちを深く考える習慣がなければ真に理解できない。つまり、真に理解のできない人にとっては「なにかわからないが、深いようなことを言ってるなあ」という感想で終わってしまう。これでは、「詩が好きな人間は格好つけのキザ野郎だ」なんて思われてしまうのも仕方がない。
すなわち、最初に言った「詩を読むのが好き」と言ってもなんの違和感も持たれないような空間がうらやましいというのは、人々が他人の気持ち、そして自分の気持ちを真剣に考えるような社会であってほしいという意味だ。
「本当に自分は金や女を求めているのか。真髄の目標は何なのか。」
そういうごく普通のように感じている欲求を疑ってみるのが第一歩かもしれない。


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